2007年 07月 12日
昭和 姉石商店 |
今じゃ、改築して立派になっちゃったけど
昔、生まれ育った頃の私の実家
思い出して描いてみた
姉石商店という大きな看板は、昔し死んだ婆ちゃんが商売をしていて
だけど私が物心ついたころにはもう閉めてしまっていたのだけれど
この看板はとうとう最近の改築まで、ずっとはずされる事なくそのままになっていた
だから近くのキャンプ場に来られた方が、時々買い物に訪れてきては
「すみません、もうお店はやってません」といちいちお詫びの言葉を申し上げる事が
いやでいやでしょうがなかった
お客さんががっくりと頭を垂れて帰っていく姿は気の毒でならない
ところがうちの母は、「何が欲すがったのす?」と聞いては
家に置いてある物で用の足りるものは、おすそ分けしていた
さすが大人は違う
小学生の私には、そういう気の利いた言葉がなかなか言えなかった
田舎の小学生が、ましてやよそ者、都会人とまともに話をするということは
英語のわからないものが外国人と話をしようとしているに等しい
すくなくとも私はそうであった
「すみません、もうお店はやってません」
という短いセリフでさえも、直立不動で緊張気味な有様だ
ま、ようするにだ、よそ者は敬遠したがる、それだけ隔離されたような「ど」の付くほどの田舎だったという事なのだけれど、そこの村のその風習や風景でさえも今だ何も変わっていないような気がする
そして私は、一年に一度帰るその変わらない景色が今は好きである
看板の少し右側に、はみ出ている部分、ここが実は中高生になった私にとっては
とても重要なポイントになっていて
看板の裏側の骨組みになっている木が、なんと、梯子段のようになっているではないか
ちょうどそこの離れの二階が私の部屋となっていたわけで
夜毎、裏の窓からそこの梯子段を使ってはこっそり親の目を盗んでは遊びに出かけていたのだ
そしてその話を旦那に言って聞かせたところ・・・
遊びに出かけるって言ったって、どこに遊びに出かけるのだ、第一遊ぶ所なんてあるのか?
みたいな事を言われてしまった私は「なぬっ!!」である
小さい頃からド田舎で育った私はやはりどこかで「田舎者」といわれる事にコンプレックッスを感じていた。そしてそれは今でも引きずっているのでしょう
「なぬ!」である
え~確かにド田舎で悪かったですね~
どうせ遊ぶ所といったら野山を駆けずり回ったり、海に潜るぐらいしかありませんけどね~
ほんなら正直に言ってさし上げましょうか?
実はですね、男の所に行っておりましたのですよ~
お分かりいただけましたでしょうか?
旦那さん
by hp-amg2
| 2007-07-12 11:01
| いらすと