2月。2月といえば思い出す。あれは小学の高学年だったと記憶する
夕方ベロベロに酔っ払って帰ってきた父が、・・・ってか夕方の時点でベロベロとは・・・
いったいいつから飲みあるいているのだ・・・
急に浜へ行って船を出すと言い始めた。船を出すといっても沖に出るのではなくて
陸に上げてある船を海に出して堤防に繋げるということだ。多分何日か前から時化で海が荒れ波も高くなったので、陸に上げていたのだ。それを次の日の漁に備えて出しておきたかったのだろう。といってもベロベロになっていて大丈夫なのか?という話だ。
わたしは「え、今から?」ともう一度聞き返しながら、母の機嫌を横目でうかがってみると
案の定もう少しすれば頭から角でも生えてきそうな形相だった
そりゃそうだ。昼間っからどこをほっつき歩いていたのか、そして帰ってくればこんな状態・・・
機嫌も悪くなるだろう。でもだからと言って母は父を咎めたりしない。なぜなら逆にやられるから。何せ若い頃の父はヤンチャな人だったので、飲んでいたらなおさらだ。そんなときの母の対応は、とにかく口も利かないし顔も合わせないのだ。
母は影からわたしに合図をした。浜の方に指差して着いて行けと
陸に上げている船を海に出すのは結構大変な作業で、船の下に丸太を並べ船を押すと下の丸太が転がりながら移動させる。だけど丸太の本数は限られているので船が上を通ったあとの後に残された丸太をまた前に持ってきて船を移動させていた。成人男性一人で出来ない事はないだろうが、千鳥足の成人男性ではちょっと難しいだろう。せめて丸太を運ぶ人は何人かいた方が良い。
妹達もつんだって軽トラの荷台に乗り父の酔っ払い運転で浜まで下りた
あたりはすっかり日も暮れ海風は肌を刺すように冷たかった
そんな吹きすさぶ2月の風の中、わたしたちは順番に船の後ろへ回っては丸太を船の前に並べる作業を淡々と行い、やがて船は波打ち際まで来ると、勢い付けて舟を押しながら父は後ろから飛び乗り、船外機を下ろしてエンジンをかける・・・はずだった
父は失敗した。千鳥足では流石の父も船に飛び乗ることができなかった
船はどんどん陸から離れて行く。父は船の最後尾につかまったまま、それでもなんとか乗ろうとしてもがいているが、既に下半身は水の中につかりズボンも重たくなって邪魔をしている
そうこうしているうちに潮の流れのせいなのか、どんどん船は沖へ向かって流されていく
無理だ!
わたしは咄嗟に海の中へ入っていった
毎年夏休みが来れば毎日海で遊んでいたわたしは泳ぎは得意であった
何も考えなかった
ただ泳げるという自信だけはあった
オーバーオールに綿入り半纏を着ていたのもおかまいなしだった
今になって思う。せめて綿入り半纏だけは脱いで行けばよかったと
あれは母お手製のわたしに作ってくれた半纏だった・・・
わたしはその半纏を着ているにもかかわらず必死に泳いだ
ようやく父のところまでたどり着くが、更に船の前方まで周り
船の先に繋いであるロープをつかみ丘に向かって泳いだ
引っ張り、泳ぐ。引っ張り、泳ぐ。引っ張り、泳ぐ。
陸で妹達が心配そうにたたずんでいるのが暗がりの中に
だんだんハッキリと見えてきた
今思うとあの船を小学生のガキンチョがよく陸まで引っ張り寄せたと感心する
多分あれこそが火事場の馬鹿力というものなのだろう
実は正直、あの瞬間というか、劇的?であっただろうそこのシーンのことは
あまりよく覚えていないのである
ただ鮮明によく覚えているのは、陸に上がったら濡れた身体が
2月の吹きすさぶ風に打たれてガタガタと震えていて
水の中より地上の方が冷たいと思ったことと
家に帰って全身びしょ濡れの私を見たときの母の顔だ
父はこれと言って別に何も言わなかった
酔いもすっかり醒めて、ただただ体裁が悪そうにしていた
そんな父は見たくなかった
わかっているよ。わたしは大丈夫だから
それよりもいつもの威張り腐った父に一刻も早く戻ってください
と、そう思った